ルナク選
そらのすきま-たりぽん
そらのすきま - たりぽん
そらの隙間
を、埋めようとして
春に吹けば花を
夏に吹けば草切れを
僕の僅かな体温ですら
そらのどこかに隙間ができて
そのどこかをえいえんに
、さがしつづけ
僕は知りたいだけ
言葉だけになることは
風になるよりも
自由ですか
あなたの形の
言葉はその姿とは
違うのに
そらを見上げても
姿は見えないから
、さがしつづけ
秋には枯れ葉を
冬には風花を
そらの隙間
を、埋めようとして
言葉で
埋めようとして
はじめに詩遊会選評を選ぶにあたっての僕の考え方を述べておこうと思います。
そもそも詩だけではなく、あらゆる芸術に良いも悪いも存在しないと言うのが僕の基本的考えで 、総ての詩すべての芸術作品はみな同列にならんで鑑賞する個人の心に訴えかけてきていると思っているのです。良いと感じるか悪いと感じるかは受け手の自由。あえて良い作品とはなんだろうと問われれば、より多くの人の心を揺さぶった作品、あるいは特定の人だけの心にでも強くそして深く影響を与えた作品が時代をこえて生き残ってゆくのではないでしょうか。
と言うわけで僕は僕のこころを大きく揺さぶってくれた作品を毎回選んでいくことにします。今回はたりぽんさんの「そらのすきま」です。
僕が詩を読んで良いなあと思う時は、たいがい「感じる言葉」がどこかに含まれている場合が多いです。この詩の場合は題そのもの「そらのすきま」って言葉ね・・・「そらのすきま」って何でしょう?空は一面真っ青だったり、白い雲がうかんでいたり、雨雲でグレー一色だったり、満天の星だったり・・・エトセトラ、エトセトラ。まあ毎日めまぐるしく変るわけだけど、それでも「空」に隙間なんて本当はないですよね。いつ見上げても「空」はそこにあるし、穴ぼこだとか切れ目だとかで一部分が欠けてしまっていることなんてない・・・それでもその見た目では欠けていない「空」の隙間を感じる「心」があるんですね。そして作者はその「空」を平仮名の「そら」と表現する事で、目に見えている「空」だけではない何かを読者に想像させようとしています。そしてその「そら」の「すきま(これも平仮名ですね)」を「言葉」で埋めようとしていると語るわけです。詩人にとって「言葉」と「心」は密接なつながりを持っています。けして形にはできない自分の「心」をなんとか読者に伝えようと毎日「言葉」を探し続ける詩人たち、そして自分自身でもまだよくわからない自らの中の「そらのすきま」とそれを埋める「言葉」探し。僕自身へたくそながら詩や歌を書き続けてきているのでこの比喩はとても胸に響くのです。いや詩人にかぎらず自らとまっすぐ向かい合って、その「すきま」を何とか埋めようと努力しているあらゆる人々の胸に伝わる詩ではないでしょうか。
「そらのすきま」・・・感じる言葉です。
さあ、では僕もまた自分自身の「そらのすきま」を探す旅をつづけましょう。